【推理小説】「亜愛一郎の狼狽」泡坂妻夫作 カッコいいのに中身は残念な主人公による巻き込まれ型ミステリー
何も考えずに亜愛一郎のふるまいを楽しめばよい短編推理小説集
短編8編が入ったこの小説は、結末まで読んで犯人が分かって「ほほーんそっかあ」と本を閉じても、何となくまた読み返したくなります。
その理由は、主人公の不思議な魅力と作品全体の乾いた空気にあります。
亜愛一郎が主人公の作品は、この1作目から「亜愛一郎の転倒」「亜愛一郎の逃亡」へと続き全3作出ています。
あらすじ
人を二度見させる学術カメラマン亜愛一郎。
彼はいつもいつも人をがっかりさせてしまうのです。なぜなら外見は完全無欠の美男子だというのに、その振る舞いは常にドタバタだから。
「わっ」と驚かされればワンテンポ遅れて飛び上がり、刑事に脅されれば素直に震え上がる。
それでいて事件が起こると、(一見奇妙な対応に見えることがあっても)結果的には最善の策をとり犯人や真相を見抜いてしまう。
彼に出会った刑事や関係者は、結果を目の当たりにしても納得がいかず亜に事件について問いただします。問い詰められた彼は気が進まないながらもボソボソとタネあかしを始めるのです。
この作品で亜愛一郎が図らずも解決してしまう事件は以下の8編です。
第一話 DL2号機事件
飛行機の爆破予告から始まる、人間の考え方の規則性にまつわる事件。
第二話 右腕山上空
飛び立った気球という空中密室の中で起こる殺人事件。
第三話 曲った部屋
建物の欠陥構造など、問題続出の新興団地で起こる殺人事件。
第四話 掌上の黄金仮面
巨大な菩薩像とその前に建つホテルという奇妙な立地で起こった銃撃事件。
第五話 G線上の鼬
人はどうして「その」角を曲がり、「この」煙草を1本手に取ったのか。
小さな選択がどのようになされるかに注目した事件。
第六話 堀出された童話
成りあがりの社長が道楽で作ったと思われていた童話に隠された暗号。
第七話 ホロボの神
戦時中、南の島を舞台に土着の部族と兵隊との関わりが起こした事件の謎を解く。
第八話 黒い霧
町中にわざとカーボンを飛散させた理由は何なのか。ドタバタ劇の風味が強い作品。
おすすめポイント
美男子なのにふるまいはドタバタな亜愛一郎の右往左往を読むのがひたすら楽しいです。
また、事件のタネあかしは数学の証明問題のように「〇〇が△△、ゆえに犯人は□□。」と進みます。事件の犯人を挙げる道筋を味わうというより、理論の組み上がっていく面白さを楽しむ作品です。
亜は、事件の解決に積極的ではありません。
自分は事件に関係なく居合わせただけのつもりでいるのに、結果的に犯人へとつながる重要な事実などをポロリと漏らしてしまい、食いついてきた刑事や周りの人にタネあかしせざるを得なくなるのです。
自分だけが最短で真実にたどり着いても、「謎は全て解けた」などと偉そうに宣言するわけではなく、その事実に気づいてない周りを不思議そうに見回す。亜はそんな人間です。
読者は作品中の一般人と同じように結果だけまず聞かされ「なぜそうなるのか」と亜に問い質したくなります。
亜は問い詰められるとまるで自分が犯人のようにボソボソとタネあかしを始めます。その様は、犯人を糾弾するわけでもなく自分の理論を説明しているだけといった趣で、常に淡々としています。そのドライさによって、理論の枠組みが明確に伝わってくるのです。
また、この作品は犯人の恨みつらみで事件が成立するような話でもありません。
ストーリーは本当にサクサクと進みます。「えっ、この人どうなっちゃうの?」 とか「まさかこの人が犯人だったとは!」というような二転三転する驚きはありません。
殺人事件を扱っていても、そこまで血みどろな感じがしないのは直接の死体の描写があまりなかったり、展開がスピーディーなためかもしれません。
また、心理描写も刑事や事件の関係者についての最低限のものだけで、亜の心理状態の描写は一切ありません。
本筋以外の無駄をそぎ落としている印象です。
取り上げる事件は非日常的な殺人事件ですが、犯人の行動を裏付けるのは誰しもが覚えのある人間の考え方の癖などです。
亜のタネあかしを読むと、殺人の具体的なトリックに納得できるというより、人間の考え方の癖にまつわる興味深い理論が組み上がっていくのを見物したような気持ちになるのです。
このシリーズは、学生の頃から何度も読み返しては同じギャグに何度も笑うようにニヤニヤしていました。
おそらく、もう新しいシリーズ作品の発表はないでしょうが、もし新作が出たならフロスト刑事シリーズと同じくらいの喜びです。
ちなみに、愛一郎のご先祖様による活躍を描いた「亜智一郎の恐慌」という短編集もあります。気になる方はそちらも是非。